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救う会 K 御夫婦様
私達夫婦が平山経政さんと出会ったのは、スポーツクラブのイベント(短い距離のマラソン大会)でした。その後、スポーツクラブに集まって狭山湖までの往復や、11月4日にチャリティ・マラソンをした所沢航空記念公園周辺を仲間たちで走ったり、チームを作って駅伝に一緒に参加したりしました。一緒に参加した大会は、山中湖を初め、昭和記念公園の駅伝、渡良瀬のデュアスロンなど数多くあります。中でも昭和記念公園の東日本駅伝大会で部門別優勝をして、表彰台の上でガッツポーズをした姿は忘れられません。(我家にある平山さんの写真はほとんどがガッツポーズです。)そのうちに今は奥様となった有美さんとも一緒に大会に参加するようになりました。私たちが知っている平山さんは、誰もが認めるパワーで、仕事や運動をこなし、仲間の面倒見も良く、いろいろな意味でチームの引っ張り役でした。トライアスロンを始めてしばらくして、相模原に引っ越した後、宮古島に挑戦することを聞き「相変わらずがんばっているんだな。」と思っていたところ、しばらくして宮古の大会で倒れたことを聞き、その後肝硬変末期であることを知らされました。ふたりとも「あんなに元気だった平山さんがなぜ?」という思いでした。平山さんの「生きたい。」「元気になって有美さんを幸せにしたい。もう一度社会の役に立ちたい。」切に願っている思いを、ぜひとも実現させたいと思って救う会に参加しています
救う会メンバーのKさん
私は有美ちゃんと13年来の友達で、今高校生の娘がいます。 明るく元気な有美ちゃんを娘も慕っています。もし、自分の娘が有美ちゃんのような状況だったら、その結婚に賛成したでしょうか?やっぱり、娘にはできるだけ苦労や、辛い思いはさせたくない、そんな想いが働き、反対したに違いありません。子供の気持ちは尊重したいと普段は思っていても、結婚した時の平山さんの状態はそう思ってしまう程悪いものでした。入退院の繰り返しの末、仕事は辞めており腹水が溜まり、以前の面影はありませんでした。二人が一緒にいられる時間は後どのくらいなのだろう。その後、彼女はどうなってしまうのだろう・・・。
結婚のお祝いを、友達と3人でワイワイ楽しんだあと帰り道で、友達と私は涙が止まりませんでした。
それでも有美ちゃんの、彼と一緒にいたいと言う気持ちは強くまた、彼女は諦めていなかったのです。有美ちゃんの明るい笑顔がずっと続きますように、一日も早く二人そろって、普通の生活ができますようにその思いで救う会に参加しています。
救う会メンバーのO夫妻
平山さんは、私たちがトライアスロンを始めたころからの友人です。一緒にレースに参戦したり、大会のボランティアなどをしてきました。平山さんから電話がかかってきたのは、‘07年2月です。久しぶりに聞く電話口の平山さんの声には、いつになく力がありませんでした。「元気になってからお話をできればと思い、連絡は控えていたのだけど、、」という言葉にはじまり、体調を崩してからの闘病生活と、兄からの生体肝移植を断念するに至った経緯について聞きました。トライアスロン仲間の中でもひときわ体格が良かった平山さんが、そのような病気で苦しんでいるとはその時はとても信じられませんでした。逆に、運動をしていても、病気と無縁ではないということを、平山さんに教えていただいた思いです。将来、平山夫妻とともに、コバルトブルーの宮古島のビーチで一緒に泳げる日が来ることを信じて、救う会の活動に参加しています。
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